アール・ヌーボーの最高傑作・・・プルマン
アメリカのプルマン社がヨーロッパ進出への足がかりとしたのがイギリスでした。当時、既に大陸側はワゴン・リ社が市場を独占していましたが、1924年英国プルマン社の社長ディヴソン・ダルズィール卿が、ワゴン・リ社の最高顧問となってしまいました。其の結果、既に英国内で運転されていたプルマンカーがヨーロッパ大陸を走り始めるの事になるのです。ダルズィール卿のプルマンカーとは、中央の通路を挟み、テーブルを真ん中に大きな安楽椅子が向かい合って置かれ、車輛の一端にある調理室から食事を座席まで運んで来てくれると言うとっても豪華な車輛です。ヨーロッパ大陸初のプルマン列車は、1925年にミラノ〜ニース間で運転を開始した「ミラノ ニース エクスプレス」で、イギリスから持ってきた木造車が使用されていました。その後1926年に、「シュッドゥ エクスプレス」用として3種類のプルマンが新製されましたが、これは試作的な要素を持った車輛でした。続いて完成した8個窓の「フレッシュ ドール」用の車輛が、その後のプルマンの標準型となって行きます。翌1927年には2等のプルマン、9個窓の「エトワール デュ ノール」タイプが登場します。そして、1929年には尤も豪華な7個窓の「コート ダジュール」タイプも登場し、夜の「トランブルウ」に対して、昼の「コート ダジュール プルマン エクスプレス」として運転を開始しています。「シュッドゥ エクスプレス」に始まったプルマンだけで編成されたワゴンリの昼間の豪華列車も、一時は20本以上がヨーロッパ大陸で運転されていました。しかし、1960年代半ばも過ぎると、大部分のプルマンが次々と食堂車等に改造されて行きました。コート ダジュールタイプだけが最後までプルマンとして残りましたが、飛行機の発達、鉄道の高速化やプルマン車の老朽化等により、奇しくも鋼製プルマン最初の列車、「シュッドゥ エクスプレス」を最後に営業を終えたのでした。因みに、オールプルマン最後の列車は、「ラ フレッシュ ドール」でした。